【YY】 夢に向けての第一歩 ~ 「YY Blog」 or 「YYB」 ~ -6ページ目

お寿司三昧・・・


今日の夜、母と二人で実家近にある新しくオープンした回転寿司もお店に行き、私は寿司を12皿ほど食べた。 (たぶん、24カン)


そういえば、回転寿司に行くのは本当に久しぶりで、私は大のお寿司好き・・・


すごくおいしかっただけでなく、値段もなんと、すべて100円/皿というのがこのお店の特徴だ。


通常、他のお店では、寿司ねたにより値段が異なるのだが、ここは一律で、すごく高級なねたはないが、それでも結構高いものまで同じ値段・・・


初めて行ったのだが、本当に気持ちも、お財布も満足だった。


このお店は、実家近くにあるため、わざわざ行くことはできないのが残念だが、機会があればまた行きたいと思う。


これで、しばらくの間は、生き延びれるだろう・・・



久しぶりの実家


今日は、午前中に会社での会議を終え、これから久しぶりに実家に戻りたいと思う。


その前に、ちょっと買い物をしに、新宿あたりに立ち寄る予定。


今週末は、いろいろやることがあり、ある意味充実したものになるだろう。


いや、充実した週末にしていかなくてはいけないと思う。


そして、来週から始まる新しい一週間に備えたい。


毎日、毎週、毎月、過ぎ去ってゆく人生において、プラスのサイクルを繰り返すことができるようにしたい。



鬼の心で、腫瘍退治!


なんと、今日は金曜日、週末だ~、と思ったら、急に明日土曜日の午前に会議があり、出社しないといけない。


もともと別の用事(歯医者)があったのだが、キャンセルした。


想定範囲内だが、会社というのはいろいろな問題(腫瘍)を抱えている。


これらの諸問題(腫瘍)にすぐにメスをいれ、取り除かねば、致命的な自体(癌)になるのだ。


こうしたメスには、必ずといっていいほど、痛みが伴うものだ。


しかし、これも会社が大きく成長するためには必要な一連のプロセスなのだ。


会社が更に発展するため、時として私の心は腫瘍を退治する鬼とならねばならない。


時が来た。 明日こそ、その瞬間がやってくるのだ!



自身の経験について語ること


自分は自身の経験について他人に語ることがある。


以前から語ることが好きで、自分の世界に入っているかのごとく、語っているのだ。


ありのままに自身の経験を言葉にして他人と共有することで、これまでぼんやりとしていたことがはっきりと見えてくるのだ。


何が明確で、何が不明確かがはっきりする。


そして何より熱く語るからこそ、自身の経験が他人の魂・心に伝わっていく。


こうしたやりとりは、相手に対して自身を理解してもらうためには非常に有効である。


自身について熱く語り終えたとき、私は相手との距離が一段と縮んだと確認するのだ。



背骨が出っ張っているおじちゃん


今日、電車の中で、背骨が出っ張っているおじちゃんに出くわした。


電車内で、おじちゃんに出くわしたというより、背骨が私の胸に突き刺さったが、正しい表現だろう。


そういえば、子供のごろにも、そういう年寄りの人たちを見た記憶がある。


たしか、これって病気だったように思う。


実際に、病気にかかっている本人は日常の活動に大きな支障が出ているはず。


何か治療法があればいいのだが・・・


自分が年をとったら、そうならないか、ひとごとではないように思えた。



ビジネスにおける発見


ビジネスにおいて、さまざまな発見をする瞬間がある。


失敗から学ぶこともあれば、複数の経験の積み重ねから得れる大きな発見もある。


実は最近、ちょっとした発見をしてしまった。


詳細はここでは控えるのだが、今までどうしても解けなかった難解な問題を一気に解いたようなイメージだ。


この瞬間、私はチャレンジを通して、一歩成長したように思えた。


しかし、まだこれで十分だとは言えず、さらなるビジネス上の発見をし、より成長したいと思う。



不思議な夢


なんか、昨日不思議な夢を見た。


詳細は、もう覚えていないのだが、どこかの高層ビル群が一気に崩れ落ちたのだ。


地震がおきたかどうかはよく覚えていない。


この夢を自分なりに解釈してみた。


すると、最近心にあったもやもやが一気に吹き飛び、より自身の方向性が見えてきたということがこういった夢を見させているのではないかと・・・


この解釈どおり、見えてきた方向性に向かって、どんどんチャレンジしたいと思う。



見ざる、聞かざる、知らざる 『三猿』


『見ざる』、『聞かざる』、『知らざる』の三猿って、誰もがどこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか。


日常の出来事の中で、見なきゃ良かった、聞かなきゃ良かった、知らなきゃ良かった、と思うことは多々あるのだ。


何かしらの事実を見たり、聞いたり、知ったりすることで、人が感動をしたり、満足したり、喜んだりもするし、失望したり、後悔したり、悲しんだりもしてしまう。


プラスの発見もあれば、マイナスの発見もある。


まさに、人生において生きることこそが、そういう体験の連続体なのだ。


何事も、見たり、聞いたり、知ったりしなければ、推測しかできず、実際に見たり、聞いたり、知ったりすることで、自身がどのように感じるのかはわからない。


それゆえ、プラスの発見はより強く認識をし、マイナスの発見はその影響を軽減(または、教訓とすること)することで、人生をより有意義なものにしたいと願うのである。



おじさんの汗、触れてしまった私


昨日の朝、電車の駅に向かっていたとき、急いで駅に向かって走っていた半そで姿のおじさんの腕が私の手の甲にぶつかった。


手の甲に、おじさんの汗らしき液体がくっついたのだ。


他人の汗に触れ、もちろんちょっと気持ち悪い気分になったが、早速、駅のトイレで洗い流した。


実は、時々こういったことはおきる。


これが、おじさんではなく、女性の汗だったら、どう思っていただろうか。


同じく気持ち悪い気分になっていただろうか。


そういうのは関係なく、他人の汗を好んで触れる人普通はいないだろう。



小学生: 遠足のバス


先ほど、家の近くの大きな駐車場で、遠足のバスとそこに集まる小学生低学年と思われる一団を見た。


一部は、母親と一緒につれられて、たいきしていた。


このアパートに移って、2年半ほど経つが、初めて見る光景である。


思えば、自分も小学生のとき、このような遠足のバスに乗せられ、遠足に行ったものだ。


もうあのときの子供としての自分には二度と戻れないが、何だか懐かしくも思える早朝の出来事だった。